2021年11月28日日曜日

               「クリスマス」

 クリスマスは神が人となられた。神が人間となってこの地上においでになられたことをお祝いするその日です。この世に多くの子どもたちが産み出されてきます、それはどんなに大きな喜びと、また将来に対する希望を与えるでしょう。ご両親は「ようこそ、わたしの家に」と言って赤ちゃんを迎えるでしょう。

 11月23日に教会学校から導かれている求道者の若い母親に無事、第3子赤ちゃんが生まれました。おかあさんはきっと「よく頑張ったね お疲れさま 産まれてきてありがとう」と声をおかけになったと思います。特に早産のおそれもあり、数ヶ月入院中であったことも含めそれはそれは不安な日々を乗り越えてのその日を迎えたのです。

 産みの苦しみというものの苦しみは、男性陣にはわかりませんが、赤ちゃんを産み出したお母さん方にはそのことがよく理解できるでしょう。共同の働きがなければ、苦しまなければそれを産み出すことが出来なかった訳です。ですから、自分も辛かったし、赤ちゃんも本当に大変だったね。苦しかったねえ。よくがんばったねえとそのような言葉が、投げかけられるのでしょう。

 さて、そのように産み出された幼子であればこそ、この子はどんなに立派な子になるのだろうかと希望を抱くことでありますが、神様が人間となってお生まれになったイエス様は、目的がはっきりとしていたのです。それは全人類の罪の身代わりとなって十字架に架けられ、人間の罪そのものとなって十字架の上で死なれるということでありました。

そのようなことが予告されていたならば、私たちは子どもを持つことを望むでしょうか。そんなことなら、どうせ生まれてきてもこのような運命がこの子のうちにあるならば、産まない方がよいと思われるでしょう。

けれども、神様の愛は、そのことをも超えて、全人類の罪の身代わりの死を遂げるために、この地上にひとり子なるお方をお送り下さったのであります。これがクリスマスです。

教会によっては、祭壇に紫の布を置いてクリスマスをお祝いすることもあります。紫、それは死を意味するものであります。”主がお生まれになられた。それは私たちへの愛のために死なれるためであった。そのことを人よ、黙想しなさい。そのことを人よ、悟りなさい。心を開いてこの私たちの救い主なるお方を礼拝しなさい”そのように語りかけるのであります。

このアドベント、そしてクリスマスの時、イエス様のご降誕をお祝いするその準備をすることでありますが、私たちを救ってくださるために身代わって、私たちに永遠の命を与えてくださるそのお方として、心からイエス・キリストを心に迎えお祝いしようではありませんか。

      みどり子なるイエス様、どうか汚れたわたしの心に、

      私のうちにお宿り下さい。御名を唱えながら崇めながら、

      心から主を受け入れます。

      あなたは神様、救い主、御身はキリスト生ける全能の神なり

      神は愛なり