2016年2月27日土曜日

塩狩峠

明日のオープン礼拝は映画「塩狩峠」三浦綾子原作

 2/28(日)午前10:00~11:45

 1909年2月28日 今からちょうど107年前に列車事故が起こり
 一人の鉄道員が犠牲になったことで、乗客全員が助かった史実である。

 映画の中での聖書というページを見つけたが、それは三浦綾子さんの
初代秘書をされた宮島裕子さんの著書「神さまに用いられた人 三浦綾子」
に書かれているとおり、三浦さんがこの「塩狩峠」を書くきっかけとなった
そのエピソードが記されていた。書いてくださった方に感謝したい。

綾子さんが出席していた北海道旭川市の日本キリスト教団六条教会(川谷
牧師)で修養会が開かれた際、綾子さんが出席した分団に新しく来られた
藤原栄吉という方が見えていました。

後日、藤原さんから川谷牧師に手紙が届き、「三浦綾子という婦人は、
私の述べる意見にいちいち批判を加え、反対意見をのべました。今後二度
と同席はご免こうむります。」と記されていたのです。


牧師に手紙を見せられた綾子さんは「私は語調がきつくて、これまでにも
人を傷つけました。」と言って藤原さん宅にお詫びに行ったのですが家に
入れてもらえず、詫び続ける綾子さんはやっとの思いで部屋に入ることを
許されたところ、

机の上に置かれている原稿用紙が目に留まり、聞いたところ「長野政雄さ
んのことを今のうちに記録しておこうと今書いているのです。」藤原さん
はモデルの長野政雄の直属の部下だったのです。

このことを聞いた綾子さんは「所属する教会に、こんな素晴らしい先輩が
いたのだ。」と感動し、後に藤原さんから資料をお借りし
「塩狩峠」が記されたのです。(49~50ページ)

 偶然のいや神様には偶然ではないその三浦さんの失敗が、このような
素晴らしい作品を生み出すきっかけになるとはだれもが想像できないもの
であった。

 しかし、神様の働きは逆転の発想である。
長野さんはあの時点で、この世からいなくなった人だったが、部下が
そこに存在していたことが、日本人であればほとんどが知ることの出来る
出来事として、今もその拡がりはとどまることがない。