2025年8月2日土曜日

 中国A教区しまなみチャイルド夏2025 8/1-2


子どもたち15名と共に二日間通いでの集いを持ちました。

テーマは わたしはぶどうの木 

     イエス様とつながりつづけよう

わたしはぶどうの木 あなたがたは枝です

人がわたしにとどまり わつぁいもその人にとどまっているなら 

その人は多くの実を結びます。

わたしを離れては あなたがたは何もすることができないのです。

父がわたしを愛されたように わたしもあなたがたを愛しました。

わたしの愛にとどまりなさい。

神は実に そのひとり子を お与えになったほどに世を愛された。

それは、御子を信じる者が 一人として滅びることなく 

永遠のいのちを持つためである。新改訳2017


わたしはぶどうの木という讃美歌をこどもたちで録音(画)すること

御言葉を心に刻むこと

楽しくすごすという3つの目的で会場は尾道教会でもたれました。

こどもたちの成長、御言葉を集いの前から覚えて集まる子たちもあり、

とても落ち着いたしかも楽しく、集会でイエス様に触れる恵みをいただき

皆喜んで帰っていきました。

担当の先生方ありがとうございました。

なつまつり風に会場いっぱに露店がたちならびタコ焼き屋さん

射的コーナー がちゃがちゃ ようよう スーパーボール釣りなど

開催し子どもたちも、おとなも存分にたのしみました。

歌の方も発声の指導をうけたあとは、とても透明な歌声となり

顔の表情までもかわって澄み渡る空気に包まれました。

おまけに工作ではぶどうのステンドグラスにおのおのチャレンジし、

背景を海をイメージした子もいて、子どもたちの力作に驚くばかり

思い切り祈れて心もさわやかでした。

2025年1月11日土曜日

 言は神なり

行って、いのちのことばを語りなさい


新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

今日は11日(土)1958年に産声をあげて、67回目の誕生日を私は迎えることができました。

1958年と言えば、はじめて聖イエス会の創立者が台湾に宣教活動を始めたときでもあります。

当時は、思わぬ出来事で、乗るはずの飛行機のパイロットが一人搭乗できず、欠航となり、

翌日便で台湾に向かわれたというハプニングもありましたが、無事台湾での宣教が開始されたのです。その宣教を通して多くの人が福音にふれ、病気の人は癒され、人生の目的が鮮やかに示された方々が誕生しました。

そのさなかに、北陸で産声をあげたのは私でした。創立者不在のなか、夫人である霊母様が朝まだき頃、げんせん げんせんと声が響いて来たことで、言を宣べ伝えるとの意味をこめて名前がつけられたのです。

口重、口下手で、人とのコミュニケーションをうまくとれないものにその名が与えられたのはなぜだろうと思うばかりですが、今日まで教会を牧する恵みにあずからせていただいています。
そんなことが思い出される今年、大いなる期待を抱いてのはじまりです。

皆様の上に豊かな祝福と平安が訪れることを願います。

                              シャローム



2024年6月7日金曜日

 
2024年6月23日(日) ご案内

 素晴らしいよき訪れをもって皆さんをお待ちしています。
















2023年6月17日土曜日


 6月のオープン礼拝 2023年

 皆さんお元気でしょうか? 長い梅雨の時期 雷雨、ゲリラ豪雨、線状降水帯 などなど

最近では、聞きなれた しかも大きな被害をもたらす恐ろしいひびきですね。

 どうか皆さんが被害から守られますように。

 コロナ禍は、変わりませんが、5月以降インフルエンザと同類に位置ずくようになり

マスク着用義務から、個人の自己判断に任せられるところまできました。でも、決して油断してはならないことを心に銘記しているところです。

 今回、講師を迎えての一週遅れの父の日オープン礼拝 6月25日(日)10:15~を開催します。

 講師は、聖イエス会高松教会より 松本卓也先生です。

ぜひとも 特にお父さんたち、足を運んでみてください。人生の目的、目標を見失うことなく神様が与えてくださった生き方にチャレンジしてみてください。


 オープン礼拝後、11:40ごろから、一歩進んだ 松本先生による 聖書のなかの福音書の記事を通して今も、生きておられるキリスト神様との出会いの集会にもよろしければご参加ください。



 


2022年9月30日金曜日

 10月のオープン礼拝  10/16(日)10:15

 8月予定だったプログラムですが、コロナ感染のため教会を3週間閉じました。

幸い心配されていた後遺症もなく、9月より礼拝、祈祷会を再開しております。


  生きること「米子さんの場合」映像でみる

〔すなわち、彼らが人生の真の目的と目標(神こそそれである)に達せず、またそれを見失うことのないようにされる〕からである。聖書

人生の目的を母親においていた米子さんは、母がこの世を去ったことで目的を失い、その空虚な心を満たすためにありとあらゆることをやってみることで心の闇から解放させられると、世にいう楽しみにふけろうとしましたが、その心を満たすものは何もないことがわかり、ついに列車に身を投げてしまいます。

幸い命は助かりました。しかし、手足が欠損している自分の姿になぜこんな体で生かしたのか、死なせてほしいと日々苦しみもがきます。

そんな米子のことを心配して、宣教師と共にクリスチャン青年が、病床を見舞うようになり、神様が彼女を愛しておられることを伝えるのです。やがて彼女の心に祈りたいとの思いがわきあがり

  「神様、助けてください!」と心底から神に向かって叫び声をあげたのです。

青年は、「そんな祈りで神様は聞かれるのだろうか、本当に祈りだったのか」と、思いながら、帰り、数日経ったある日、彼女を訪ねると、そこには別人のように明るい彼女の姿があったのです。彼女曰く「翌朝めざめると、目の前に置かれた本(聖書)が読みたくなり、開いた箇所に、

『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。すべてが新しくなりました。』との光に満ちた言葉で心の扉が開かれたのです。

それ以来、生きることがうれしくて、うれしくて」とこの喜びを伝えたい一心で生涯を送ることとなるのです。神様は肉の目では見えませんが、いつも、あなたの近くで、あなたの叫びを聞いておられます。生きる意味がわからない方、是非、キリストのもとへおいでになりませんか。あなたの心の叫びを御存じのお方のもとへいらしてください。

また教会でお会いいたしましょう。

私を尋ねよ、呼び求めよ、わたしの名の唱えられる場所でわたしはあなたに出会いあなたを祝福する 神は愛なり

毎週 朝10:1511:00 礼拝をもっています。

聖イエス会神泉教会 岩本 電話45-3334(道越)

〔三幸瀬戸の海の見える サイクリングロード沿〕

2022年7月30日土曜日

 

       生きることの意味

〔すなわち、彼らが人生の真の目的と目標(神こそそれである)に達せず、またそれを見失うことのないようにされる〕からである。聖書

ある方から、参議院選挙を前に、演説している候補者の映像が送られてきました。その内容は、日本に欠落している教育についてのことでしたが、いじめ、家庭内トラブルetcの原因で自分で命を落とすという人たちよりも、生きることの意味がわからないという理由で、何となくいのちを捨ててしまう児童や若い人たちが多くあるとのことでした。親に聞いても明快な解答も得られず、このままいきていてもしかたがないとの判断でこの世から去っていくという悲しい現実です。

確かに生きる目的が目の前にある幸せだけであれば、そのめざしたものが壊れたり、達成してしまえば、先が見えなくなって、これからも苦しまなければならないのなら、今のうちにということになりかねないのです。

それはある意味で、人間の創造についての間違った考えから視点がずれているのかもしれません。

この宇宙、地上の世界、人間が、動物が、植物、自然界が何によって創造されているかなどを、真剣にみつめ、なぜそこに自然界が、見えないのに風で花々が揺らぐ、なぜと取り組むならば、そこに真実がみえてくるのではないでしょうか。

聖書は、明確に人生の真の目的と目標 神こそそれである(マタイによる福音書121節詳訳聖書)と書いているのです。

あるクリスチャン青年が、就職活動で面接官に、あなたがこの会社を選んだ理由、また将来の目標はなんですかと問われたとき、即座に、「人生の真の目的と目標、神こそそれであるために今ある職場につきたいのです。」と答えたとき、うーむ そうですかと面接官をうならせ数日後に内定通知が届いたということでした。

あなたは明確に生きる意味、人生の真の目的・目標を伝えることができますか?そのことに向かって歩んでいますか。あなたも生きておられる創造者である聖書の神、イエス・キリストを信じて御名によって神と出会われますように。

だれでも主の御名を呼び求める者は救われるのです。我は主なり 我は主なり

信仰は体験の世界です。肉眼でみることができないものでも、霊魂が感じ、神の現存に触れることが出来るのです。イエス・キリストこそ、まことの神、永遠のいのちです。と聖書を通してぜひ知ってください。そしてあなたは子に孫に伝えるものとなっていただきたいと願います。また教会でお会いいたしましょう。

毎週 朝10:1511:00 礼拝をもっています。

聖イエス会神泉教会 岩本 電話45-3334(道越)

〔三幸瀬戸の海の見える教会 サイクリングロード沿〕

2022年5月7日土曜日

 

5月の母の日オープン礼拝  5/8(日)10:15

       母の祈り

聖人や偉大な人をこの世に送り出す母体となるべき家庭において、特に母親の存在というものは大きなものであると思われます。母は、子どものためにすべてを与える。神の性質に似て、与え尽くす愛の姿があり、子の成長のために何が必要であるかを真剣に考え、子が成長すると共に母親も成長していくのです。

さて、聖書、特に旧約聖書(時代)には、人々の罪のゆえに神様の怒り、裁きがなされたとの記事が多くみられます。だからと言って、罰を与えられる神として怖い神だと恐れることはないこともわかります。

どんな悪王であっても、また神に敵対するものであっても、自分の犯したことの重きを知り、また病という試練に出会ったそのとき、神に祈り求めた人たちの姿が記されていますが、神は、その祈りを聞かれ、その人を癒し、また寿命を延ばしたり、日時計の陰を遅らせたり、「彼が祈り悔い改めたので神は思い返しその時代には刑罰を下すことはなさらなかった」などとあります。

もし、母親が、祈りを聞かれる神を知り、涙の祈りをすることが出来たなら、その声を聞いて答えて下さるでしょう。

あるお母さんが、流行性の病の中で予防接種したことも原因で流産を2回しました。彼女は祈りました「どうか、この二人の子どもの代わりにひとり子どもを与えてください」と、その時、どなたが神様であるのかわからずに祈りをささげたのです。その祈りは聞かれました。そして、その子は幼い頃からイエス様は神さま、救い主さまだよといいはじめるだけでなく、幼稚園で教えてもらった祈りを家でもするようになりました。

やがて家庭集会に導かれたお母さんは自分の祈りを聞かれた方がイエス様であると知り、あなたはキリスト生ける全能の神なりと信じて、御名「神は愛なり」と唱えて救われました。母の祈りは聞かれるのです。世界が暗闇であればこそ祈りましょう!あなたの祈りを必要としています。主の御名を呼び求める者は救われる!

毎週 朝10:1511:00 礼拝をもっています。

聖イエス会神泉教会 岩本 電話45-3334(道越)

〔三幸瀬戸の海の見える サイクリングロード沿〕