8月予定だったプログラムですが、コロナ感染のため教会を3週間閉じました。
幸い心配されていた後遺症もなく、9月より礼拝、祈祷会を再開しております。
生きること「米子さんの場合」映像でみる
〔すなわち、彼らが人生の真の目的と目標(神こそそれである)に達せず、またそれを見失うことのないようにされる〕からである。聖書
人生の目的を母親においていた米子さんは、母がこの世を去ったことで目的を失い、その空虚な心を満たすためにありとあらゆることをやってみることで心の闇から解放させられると、世にいう楽しみにふけろうとしましたが、その心を満たすものは何もないことがわかり、ついに列車に身を投げてしまいます。
幸い命は助かりました。しかし、手足が欠損している自分の姿になぜこんな体で生かしたのか、死なせてほしいと日々苦しみもがきます。
そんな米子のことを心配して、宣教師と共にクリスチャン青年が、病床を見舞うようになり、神様が彼女を愛しておられることを伝えるのです。やがて彼女の心に祈りたいとの思いがわきあがり
「神様、助けてください!」と心底から神に向かって叫び声をあげたのです。
青年は、「そんな祈りで神様は聞かれるのだろうか、本当に祈りだったのか」と、思いながら、帰り、数日経ったある日、彼女を訪ねると、そこには別人のように明るい彼女の姿があったのです。彼女曰く「翌朝めざめると、目の前に置かれた本(聖書)が読みたくなり、開いた箇所に、
『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。すべてが新しくなりました。』との光に満ちた言葉で心の扉が開かれたのです。
それ以来、生きることがうれしくて、うれしくて」とこの喜びを伝えたい一心で生涯を送ることとなるのです。神様は肉の目では見えませんが、いつも、あなたの近くで、あなたの叫びを聞いておられます。生きる意味がわからない方、是非、キリストのもとへおいでになりませんか。あなたの心の叫びを御存じのお方のもとへいらしてください。
また教会でお会いいたしましょう。
私を尋ねよ、呼び求めよ、わたしの名の唱えられる場所でわたしはあなたに出会いあなたを祝福する 神は愛なり
毎週 朝10:15~11:00 礼拝をもっています。
聖イエス会神泉教会 岩本 電話45-3334(道越)
〔三幸瀬戸の海の見える サイクリングロード沿〕